エレーナあとがき
この名前の女性を演じるのは
今回で3回目になりました。
不思議と愛着のある名前です(笑)。
チェーホフの描くエレーナに
みんないろいろなイメージがあるのだなと思いました。
男を惑わし暇をつぶす悪女
美しいだけの空っぽな女性
利己的でしたたか
ミステリアス
など
特に男性と女性とで
見方が結構分かれる
そんな印象です。
チェーホフの面白いところは
書かれてる事から
書かれてないことを想像し
いろいろな選択肢を持つことが出来ること
なんじゃないかな?
と思っています。
わたしは
フリールさんの描き方が好きなのは
普通の女性としてエレーナを再構築してる
と思えたからでした。
彼女自身の
葛藤や
悩み
欲望が
みえる。
きっとチェーホフの「ワーニャ伯父さん」の
沢山ある解釈のうちの一つと
フリールさんの思う演出が
アイルランド的な宗教観や
歴史とあいまって
書かれた作品なんじゃないのかなと
思っています。
伊藤さんは
私が感じたこと
思ったことに
耳を傾けて
同じ方向を向いて演出をつけてくれる。
そんな稀有な演出家です。
だから今回は伊藤さん故に
戯曲を設計図として
設計図通りにつくるのではなく
設計図を基につくる
をやってみようと思ったのでした。
観に来て頂いた方から
「物語の柱にエレーナがいる印象を受けた」
との感想を頂いたのは
とても不思議でしたが
彼女だけでなく、各キャラクターの葛藤が
どこかで共通し底に流れている。
そんなことを
演出と共演者と話した記憶があります。
私は
結婚という籠の中に閉じ込められた修道女
をベースにしました。
悪女として作る選択肢は早々に捨ててしまいました。
それはもう、演出が伊藤毅だから(笑)
彼の作品に悪い人は出てこないんです。
籠の中での幸せを模索しながら
他者の幸せも願うことのできる。
でも、不器用だからいろいろとうまくいかない。
見た目ゆえに
彼女の実像を
誰も捉えられない。
理解されないことの
絶望がある。
自由を求めながら
戒律から踏み出せない。
アーストロフとのキスは
自分で自分に強いた戒律を
破らされ
そして自ら破りにいく
その時の自由に手を伸ばす。
そんな意味がありました。
一緒に堕ちてくれる人が
あの時の彼女には必要だった。
それがアーストロフだった。
でもすぐ
それでは生きていけないことに気づいて
扉をしめる。
全てを失ってまで
自由を求められない。
私は3幕でも、4幕でも
彼とのキスシーンに苦労しましたが
一番好きなシーンなんです。
彼女が自分でも見つけられなかった自分をみつけた
そんな瞬間だったんじゃないかなと
思っています。
なかなか舞台上でキスシーン出来なくなってきていますが
私は
キスにちゃんと意味があって、
キャラクターにとっての重要なターニングポイントであるなら
ちゃんとやりたいと思っています。
それを許してくれた
アーストロフ役の内田健介さんには
感謝しかなく
そして稽古中も
本番あけてからも
だいぶご迷惑をおかけして(笑)・・・。
それでも私と最後まで芝居してくれたことに
すごくすごく感謝しています。
一緒に芝居していて
凄まじく
本当に凄まじく
楽しかったな。
私は比較的二人芝居が多いポジションでした。
セレブリャーコフ役の大原研二さん
ソーニャ役の渡邉りか子さん
ワーニャ役の柳内佑介さん
4人が4人ともスタイルの違う俳優さん達だったので
ガッツリ芝居場があったことは
ものすごく面白い経験でした。
何をいい芝居だと思っているのか
その基準が少しづつ重なってはいるけど
基本的には全然違う。
だから私の芝居も
そのときそのときで
すこし違った回路ででてきちゃう。
相手役のチャンネルに合わせようとはしてないのに
一緒に芝居すると
結果そうなってしまうんだなぁ
と
誰と一緒に作るか
は
私にとっては
今
すごく大切なことなんだなと
実感したのでした。
これ以上の作品と座組に出会うことが出来るかな
と
不安になる。
そんな公演でした。
足をお運び頂いた皆様
ありがとうございました!!
ゲネの最中にワインをこぼすハプニングも。
二人で思わず
「わーー!!」って大きい声を出したら
共演者がみんな
のぞきに来てくれました(笑)。
ほんとうに
「愛ある」
現場でした。
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