千枝子あとがき
2月の舞台でしたが
忙しさのあまり
振り返れてなかったこの役
やっと今
山にも行ったりして
数か月ぶりに
スッキリ
ハッキリ
頭がしてきたので
ここで振り返って
手放していきたいなと
思います。
そう
私のこのあとがきシリーズ
役を手放す
という行為の一環だったりするのかもしれません。
それに、もうこれ以降この役を
観客と一緒に発展させることも叶わないから
忘備録
でもあるのかもしれません。
千枝子ちゃんは
女性という「シンボル」として登場し
中盤はシンボルから脱して一人の「人間」として生き
終盤は人間ではなく「太陽の魔女」となる
という組み立て方をしました。
面白かったのは
彼女の描かれ方と
彼女自身の欲求が
構造と一致しているという点でした。
夫の溝口健二のミューズとしてダンスを捨て、
「シンボル」化しようとする千枝子
第一声も、登場の仕方も
日傘で顔を隠し
名乗るまで顔を見せない
「個人」ではなく作家の書く「女」を
体現しようと努めたシーンでした。
嫉妬深く、嘘つきで、それでいてどこか可愛い。
そんな「女」が好きなのね
なんて
思っていましたが
こんな単純な女性は稀だけどな
なんて個人的には思ってしまったり(笑)。
なかなか私自身、
男性作家の求める「女」に
ここぞとばかりに当てはめる方向で創るの
葛藤激しかったな(笑)。
そして次は夫の健ちゃんの支配から逃れようと
彼女個人の「自分自身」として「愛」を求める
人間らしいシーンへと続いていきます。
健ちゃんに「女」というシンボルとしてではなく
「私自身」を愛して尊重して欲しい
初手で構築してしまった関係性からの脱却を目指して
彼女はもがき苦しみ足掻いていく。
学生さんと浮気してみたりして(笑)
そしてそれが叶わなかったとき
彼女は別の世界へ飛んでいってしまう。
「狂気」を演じるより
彼女の安全で楽しい「世界」を
創ることを課題としました。
勿論
当時の世界情勢・時間経過・空間の移動
やらなくちゃいけないことは
盛りだくさんでしたが
「太陽の魔女」の「世界」を
純度高く体現することに
心血を注いだのでした。
バルコニーのシーンはとても楽しかったな。
「飛び降りるんじゃないかとはらはらした」
って観に来たお友達の
何人かに言われて
そんな気はなかったけど
それも面白そうだな
と思ってしまいました。
この役は本当に面白かった。
出てるどのシーンも
「同じ千枝子」
ではないんです。
目まぐるしく
人物を変化させながら
一人の人物を積み重ねる
という意味では
前半しか出てない割に
やること盛沢山でした(笑)。
歌と
踊り
も披露して(笑)
ニューヨークで演技の勉強をしてた頃に
週2コマ取っていた
歌のクラスと
ダンスのクラスで学んだことが
今になって活きるとは!
でもやはり
舞台で
歌う・踊るは初めてだったので
何度も何度も
繰り返し稽古しました。
初めてのことをたくさん
経験をさせてもらった。
そんな舞台でした。
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